#近代建築 in 『チ・カ・ラ』⑦ 品川燈台

今回は「品川燈台」の紹介です。

『チ・カ・ラ』に現在まで2回登場した品川燈台は、いずれも芝浦から眺めているという設定です。

品川燈台は、日本に現存する最古の洋式燈台で、当時は品川沖の第二台場にありました。

現在は「博物館明治村」に移築されています。

イラストの燈台は「博物館明治村」の実物写真を基に描きましたが、大正時代の品川燈台の写真資料が手に入らなかったため、芝浦からの景色は想像です。大正時代の地図で燈台の位置を確認しつつ描きました。

芝浦からお台場を眺めるというシーンは「片道切符シリーズ」の『秋雨虹橋』(コミックス『初冬街路』収録)でも描きましたが、レインボーブリッジが架かっている景色とはかなり違うなぁと、両方楽しんでいただけたら幸いです。

『チ・カ・ラ』はデジタルマーガレットにて連載中です。応援よろしくお願いいたします。

チ・カ・ラ -天空の雪- | デジタルマーガレット (digitalmargaret.jp)


#近代建築 in 『チ・カ・ラ』⑥

久しぶりに、「#近代建築 in 『チ・カ・ラ』」の投稿です。

今回は、日本橋と並んで『チ・カ・ラ』の舞台となっている銀座煉瓦街をピックアップ。

銀座煉瓦街は文明開化の象徴として、錦絵などに登場するハイカラな洋風建物で有名ですが、ご存じの通り、明治維新後の欧化政策の一環として建てられたもので、お雇い外国人の土木技術者ウォートルスが設計しました。

煉瓦造り(外壁は漆喰の白塗りが大多数)の建物は当時の人々には珍しく、見物客で賑わったようですが、庶民の住居としては人気が無く入居者が集まらない状況でした。そんな中、印刷機を使用する「新聞社」の社屋としては需要があり、銀座は一時、多くの新聞社が軒を連ねる新聞社街となりました。

『チ・カ・ラ』の舞台となった大正時代の銀座煉瓦街は、2階バルコニー部分を増築したり、和風の軒が継ぎ足されたり、創建当時のままではなく、和洋折衷の見た目になっていた建物も多くあったようです。

『チ・カ・ラ』のコミックス1巻で達道も説明していますが、銀座煉瓦街の建設は、明治5年に起きた大火の後、銀座を「不燃都市」として蘇らせる「都市計画」でもあったようです。しかしながら、大正12年に起きた関東大震災で倒壊、延焼し、銀座から姿を消します。

『チ・カ・ラ』は、只今、デジタルマーガレットにて連載中です(こちらからお読みいただけます)。デジタルコミックスも1巻から7巻まで発売中ですので、よろしくお願いいたします。


#近代建築 in 『チ・カ・ラ』⑤

近代建築 in 『チ・カ・ラ』④の続きです。

『チ・カ・ラ』に何度も登場する、旧帝国ホテルの椅子をご紹介。

六角形の背もたれが特徴的な旧帝国ホテルの椅子が、可愛くてお気に入りです。

旧帝国ホテルは細部まで、凝ったデザインで、竣工までには相当な労力を要しただろうな、と感じます。

スクラッチ煉瓦と大谷石が彫刻的に積み上げられた柱(灯籠のような灯になっている部分もあり素敵)など、エキゾチックで、重厚な意匠は個性的です。

『チ・カ・ラ』の中で、旧帝国ホテルは重要な場所となりますが、ネタバレになってしまうので、詳しくはここでかけません、ごめんなさい。

よろしかったら読んでくださいね。


#近代建築 in 『チ・カ・ラ』④

『チ・カ・ラ—天空の雪ー』22話、お読みいただけましたでしょうか。

今回の近代建築 in『チ・カ・ラ』は、「旧帝国ホテル」です。

旧帝国ホテルは、現在の帝国ホテル(千代田区内幸町)と同じ敷地にありました。『チ・カ・ラ』に出てくる建物は、ライト館と呼ばれる新館、鉄筋コンクリートおよび煉瓦コンクリート構造、地上5階、地下1階の建物です。

フランク・ロイド・ライトの設計で大正12年8月末に全館落成しました。

初代帝国ホテルは明治23年に、外国人をもてなす場所を兼ねた国を代表する大型ホテルとして、鹿鳴館に隣接する現在の敷地に建てられました。しかし、大正時代に入り初代帝国ホテルは火災で焼失、別館で経営を続けつつ、建設が進められていた新館(ライト館)の全館落成が心待ちにされていました。

『チ・カ・ラ』の中でも出てきますが、新館の工期が長引いたこともあり、全館落成以前から、新館の完成した部分では営業が始まっていました。この中央玄関に、レトロな当時のタクシーで乗り付けるシーンが描きたいなぁと、思ったので…(続きは漫画をご覧ください)。

現在は、愛知県の明治村に帝国ホテル(ライト館)の中央玄関など一部が移築保存されています。

『チ・カ・ラ—天空の雪ー』は、デジタルマーガレットにて連載中です。12月は月に2回の更新となります。こちらからご覧になれますので、よろしかったら是非お読みいただけると嬉しいです。


#近代建築 in 『チ・カ・ラ』③

明日から、やっと緊急事態宣言解除ですね。

まだまだ油断はできませんが、少しホッとしています。

イラストは、「横浜市開港記念会館」(通称・ジャック)です。

横浜開港50周年を記念して、1917年(大正6年)に竣工した建物です。

現在は、『横濱三塔』の一つとして、神奈川県庁(キング)、横浜税関(クイーン)の2塔と共に、横浜のシンボルとして親しまれていますが、ほかの2塔は昭和に竣工したので、大正時代は横浜市開港記念会館のみがありました。

当時の名称は「開港記念横浜会館」。

高い建物が他には少なかったので、海上からも良く見えたであろうと思います。

私の好きな近代建築のひとつです。

『チ・カ・ラ』の続きは、鋭意執筆中です。
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#近代建築 in 『チ・カ・ラ』②

猛暑の中、皆様いかがお過ごしでしょうか。

久しぶりに「#近代建築 in 『チ・カ・ラ』」の更新です。

こちらは、コミックスの1巻から登場する「警視庁」です。

現在の警視庁は霞が関にあり、皇居・桜田門前のお堀端にありますが、当時の警視庁は有楽町にあり、日比谷交差点近くのお堀端にありました。帝国劇場の隣でした(現在も帝国劇場は同じ位置)。

東京駅周辺は、本当に、異国情緒たっぷりの景色が広がっていたようです。

東京駅(丸の内側)は当時のままで(一部復原)ですが、警視庁の近隣にあった当時の司法省の建物も創建当時の姿に復原されており(現:法務省旧本館赤レンガ棟)当時の煉瓦造りの建物の面影をしのぶことができます。

法務省の写真は、こちらの以前のブログから見られます。

タイムトリップができるようになったら…、大正時代の行ってみたい場所の一つです。

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#近代建築 in『チ・カ・ラ』

あっと言う間に5月です。

ゴールデンウィークいかがお過ごしでしたでしょうか。

東京は緊急事態宣言も出ていたし、私は、仕事でステイホームでした。どこにも出かけず、アップするネタも無いのですが、久しぶりに、制作舞台裏っぽいネタを…。

『チ・カ・ラ』の中の、近代建築を順番にご紹介します。

先ずは、しょっちゅう出てくる日本橋の向こうに見える建物。

Aは「旧・帝国製麻ビル」Bは三越デパートです。

「旧・帝国製麻ビル」は辰野金吾の設計です。

残念ながら「旧・帝国製麻ビル」は今はありませんが、絵葉書にもたびたび登場し、大正時代には日本橋のランドマーク的な存在だったようです。

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⑩ 鉄道発祥の地

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だいぶ、前の事になりますが、
「チ・カ・ラ」の取材で、鉄道発祥の地に行ってきました。
連載は終わりましたが、せっかくなので、写真をアップ。

日本の最初の鉄道は、「新橋―横浜」ですが、
その前に、「品川―横浜」間が仮営業されていました。

明治5年に鉄道が開業した当時の、
初代横浜駅は、現在の桜木町駅にあたるようです。
写真は、桜木町の広場の片隅に立っている記念碑。
(見つけるのに、ちょっと時間がかかりました。)

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その後、大正4年に、東急高島町駅
(現在は廃線)付近に2代目横浜駅は移転、
(初代の横浜駅が桜木町駅となる)
「チ・カ・ラ」の時代の横浜駅はこの2代目横浜駅。
なので達道と千華羅が降り立ったのも、この駅となります。

2代目横浜駅は立派なレンガ造り。
今からは創造できませんが、明治〜大正の頃は、
レンガ造りのエキゾチックな駅舎がたくさんあったようです。

ですが、大正12年の関東大震災で、この2代目横浜駅は焼失。

その後、横浜駅は現在の場所に移転したそうです。

桜木町に行かれた時は、この記念碑を探して、
ちょっこっと、タイムトリップを是非、楽しんでみてください。


⑨ 電話交換発祥の地

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電話交換発祥の地に行ってきました。というか、これも、たまたま遭遇。

大正時代は、電話が普及した時代。「チ・カ・ラ」にもよく出てきます。
でも、今とは違い、電話交換手が手動で繋いでくれていた時代だったんですね。

電話交換手は、女性の人気職業でもあったみたいです。


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