コーラス連載中の「チ・カ・ラ」。主人公、千華羅の父が経営する新聞社は大正時代の銀座煉瓦街にあります。西洋化がすすむ明治の日本では煉瓦造りの建築物が増えていきました。そこで、その面影をのこす横浜の「赤レンガ倉庫」も取材しました。もっとも、「銀座煉瓦街」は、煉瓦の上に漆喰が塗られ、見た目は「赤」ではなく、白塗りの建物だったそうですが・・・。写真は明治末期から大正初期に作られ、現存する横浜の「赤レンガ倉庫」。昔は文字通り倉庫として使われていましたが、一度は衰退、廃墟同然のハードボイルドな雰囲気をかもし出す「赤レンガ倉庫」で撮影されたドラマや映画を30才以上の方は見たこともあるのでは・・・?、その後、「赤レンガ倉庫」は、2002年4月にレストランやショップの入った商業施設として生まれ変わり、今は「お洒落な横浜」のシンボルです。
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② 公衆電話初めて物語
大正時代の電話って・・・????。これまでの漫画と違って、小道具を書くのにも資料がいる『チ・カ・ラ』。でも、思わぬところに、大正時代の電話があったりするんです。まだ、漫画には登場していませんが、これは、日本初の公衆電話と同じ形のもの。もちろん、レプリカです。中を撮影した写真を見ていただくとわかるけど、こんな風に、レプリカは現在も使えるようになってます。う〜ん、そこまでしなくても(?)って感じで笑えますが。今やケータイの出現で、存在自体が危うくなってきた公衆電話。でも、最初に出来た時は便利だとみんな感動したんだろうな〜。
この、公衆電話のレプリカは横浜、三ツ沢球技場近くで、偶然発見。当時は「自働電話」っていったそう。他にも、横浜で・・・・・。
① 新聞初めて物語
只今、私は「コーラス」に『チ・カ・ラ』を執筆中ですが、そのヒロイン、千華羅の父親は新聞社を経営。そこで、新聞について調べる事に・・・。日本の新聞の原点は、江戸時代の『瓦版』ですが、日本初の本格的な新聞は横浜から誕生したそうです。今も、誕生の場所には、記念碑が・・・・。この記念碑、当時は外国人居留区であった、現在の横浜中華街のとある場所にポツントたたずんでおります。たぶん、観光客も素通りするような、奥ゆかしいたたずまい。
新聞を最初に発行したのは、ジョゼフ彦さん。記念碑には彦さんの顔が・・・。海で遭難して、アメリカの舟に助けられ、その後、アメリカで育ち、日本に戻り、向こうの新聞を手本にした新聞を発行したそうです。アメリカ国籍をもつ日本人が日本初の新聞発行者。横浜には「日本初」のものがいろいろあって面白い!。大正時代の面影を求めて、今後もいろいろ取材したら、『製作舞台裏』としてアップしていきます。