「目白文化村」は1922年(大正11年)6月に箱根土地株式会社によって分譲が開始された郊外の住宅地です。現在の新宿区に位置しますが、当時は「豊多摩郡落合村」という地名でした。
当時は、第一次大戦後の住宅難が深刻化し、郊外の住宅開発が進んでいた時期で、他方では「田園調布」の開発も進んでいました(翌年分譲開始)。
一枚目のイラストは、「目白文化村」に最初に建てられた住宅です。今見ても古さを感じない素敵な外観デザインです。
同年の3月から7月まで、上野で第一次世界大戦終結後の平和を記念する「平和記念東京博覧会」が東京府主催で開かれており、その博覧会の目玉となった「文化村」では、モダンで合理的な生活を提案する中流階層向けの住宅が展示されていました。「文化村」は今でいうモデルルームのような役割を果たし、そこに展示されたモダンな住宅と同様の洋風住宅が「目白文化村」にも建設され、新しい街並みを形成していきました。
千華羅と達道が未来の夢を語ったのはそんな場所です。
「目白文化村」の設備は、ガス、水道、下水はもちろんのこと、地下ケーブル式の電気設備、三枚目のイラスト↓に描かれているクラブハウスがあり、後にテニスコートと相撲柔道場も加わりました。現在の高級タワーマンションの共有施設に匹敵する充実ぶり。住みたいなぁ(笑)。今だったら同規模の都心の住宅街は、間違いなく超高級住宅街になるでしょうが、当時は超富裕者層向けではなく、中流以上の人々が買い求めたそうです(郊外の住宅街が超高級住宅街となっていくのは、震災後に富裕層の一部が被害が少なかった郊外の住宅地に移り住んだ後)。
現在「目白文化村」は存在しませんが、「田園調布」に建てられた大正時代の住宅は現存し「江戸東京たてもの園」に移築展示されていますので、興味のある方はぜひ遊びに行ってみてください。
なお、関東大震災前に分譲された「目白文化村」の住宅が、僅かな損害で済んだのは史実で、その後、被災者に支援を申し出たエピソード(『チ・カ・ラ—天空の雪—』22話)も史実を参考に描きました。
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