先日の博物館巡りの続きです。
2館目は「江戸東京たてもの園」に行きました。
展示室では、「江戸東京たてもの園」のルーツである「東京郷土資料陳列館」についての展示が行われていました。
「東京郷土資料陳列館」(有栖川宮記念公園)→「武蔵野博物館」(井の頭自然文化園)→「武蔵野郷土館」(小金井公園)→「江戸東京たてもの園」(小金井公園)と博物館は受け継がれてきたそうです。
同園の展示室はコンパクトですが、定期的に企画展を行っており、充実していて面白いです。
展示室を出て、皇居に設置されていた午砲を眺めていると、ガイドさんが「当時は高い建物がなかったので、23区全域に聞こえた」と教えてくれました。
江戸時代の不定時法から、明治の定時法に変わった際に、人々に正午を知らせた午砲。
もちろん空砲です(笑)。
まだ、庶民に時計が行き渡っていない時代です。
江戸時代は城の「時の太鼓」や寺の「時の鐘」で時間を知らせていたそうです。
ところで、江戸時代の時間はどうなっていたかというと…。
1日を12分割し、干支を当てはめていたそう。
「草木も眠る丑三つ時」とか、良く聞きますよね。
ざっくりですが、図を描いてみました。
また、「時の鐘」の数からくる「暮れ六つ」や「明け六つ」の呼称もありました。
一刻の長さはおおよそ2時間です。
しかし、日の入り、日の出に合わせた不定時法が日常生活では使われていたため、季節によって、一刻の長さが変動したそうです。
江戸の不定時法とは日の出と日の入りを基準に昼夜をそれぞれ六等分するもの。
ざっくりした図で申し訳ありませんが、季節との関係は、おおよそこんな感じ。
ファジーですね。
ちょっとうらやましいかも(笑)。
江戸から明治への変化は、洋装や洋館など、目に見えるものだけでなく、見えない多くの変化があったことが伺えます。
前川國男邸の前では梅が咲き始めていました。
暖かい日とはいえ、園内を散歩するのは寒く、疲れもあったので、デ・ラランデ邸でランチを頂いて帰りました。
静かな奥の部屋に案内していただけて、ゆっくり過ごせました。