千華羅(「チ・カ・ラ」の主人公)の父が経営する新聞社は『銀座煉瓦街』にありますが、『銀座煉瓦街』は『文明開化』の香りがした街。そこで、『文明開化』の始まりの場所を訪ねてみました。
横浜にペリーが上陸したのは1854年(安政元年)。『横浜開港資料館』の中庭には大きな玉楠の木があります。この木は、まだ、横浜が半農半漁の小さな村だった頃からあるそうで、『ペリー提督・将兵の横浜上陸図』の石版画に描かれた木は、その昔の姿だと言われています。
玉楠の木は今も緑豊かで、木の生命力に感動・・・。
石版画と同じ場所に立って、開国を迎えた当時の人々に思いをはせました。
横浜は元は港町ではなく、本当に小さな村だったそう。でも、幕府の開国によって、世界でも類を見ないほど急激に世界の港となり、『文明開化』の街となったそうです。
大正時代の横浜は、第一次大戦中には戦争景気を一身に集め、横浜港は輸出で大変賑わい、大戦後はインフレになり、横浜でも物価高に庶民は苦しんだようです。まだ、『山下公園』は無く、『みなとみらい』も当然ありませんでした。けれど、古い写真からは異国情緒が漂い、今も現存する建物がいくつか見られ、横浜の歴史を感じました。