都立多摩図書館にて、ACE展を見てきました。
たまたま、図書館に行ったら、開催中だったのですが、本当に楽しい展示でした。
東京都の全特別支援学校に通う子供たちの応募作品813点の中から、審査会を経て選ばれた50点の作品を、「第3回 東京都特別支援学校アートプロジェクト展」で展示していました。それぞれに個性的で、モダンな作品、美しい作品、楽しい作品があって才能豊かな生徒たちの姿を感じました。自室に飾りたいと思う絵がありました。展示の方法もスマートで、洒落たギャラリーでアーティストの絵を見ているような心地よさがありました。
「特別支援学校」という言葉を聞きなれない、ご年配の方もいらっしゃると思いますが、昔の「養護学校」に位置づけられるものといえます。私の作品『片道切符』シリーズでも、『Flower~フラワー~』でも「養護学校」が出てきますが、実は教育制度が変わったので、現在は「養護学校」はありません。「特別支援教育」が日本の障害児の教育をサポートしています。
『Flower~フラワー~』の連載終了後の2007年、国連の「障害者の権利に関する条約」に日本も署名(2014年に批准)したことから、日本の教育も変化を余儀なくされたようです。『平成19年4月から、「特別支援教育」が学校教育法に位置づけられ、すべての学校において障害のある幼児児童生徒の支援をさらに充実していくことになりました。』と、文部科学省のHPにはあります。
『Flower~フラワー~』連載開始から19年。今回の展示のスマートさに現れていたように、特別支援学校と地域との交流は着実に進んでいるように思います。一方で、地域の通常学級で学びたいという障害のある子供たちへの支援は進んでいるのでしょうか。
日本のインクルーシブ教育は「特別支援学校」からの地域へのアプローチであり、国連が謳う「障害の有無にかかわらず、地域で分け隔てなく子供を同一の場で学ばせる為の合理的な支援」を保証したものではないことから、分離教育の延長であるとする厳しい意見もあります。
私は、怪我をするまで、大阪で育ち、小学校、中学校共に、地域の統合教育をする学校で学びました。中学時代に、体育の授業中に(*)怪我をして車椅子ユーザーとなるのですが、その後、父の転勤で東京の学校に転校…するはずが、分離教育が基本だった東京の地元中学校への転校は、無念でしたが断られ、受け入れ先の学校が定まらないまま1年留年し、最終的に都立高校の受験資格を得るために養護学校に掛け合い、数か月間ですがお世話になりました。進学した高校は当時としては一早くバリアフリー設備を整えた普通校でした。高校時代は、私にとって最も楽しかった青春時代の思い出です。高校卒業後、進学した美大は、まだ当時はバリアフリーの設備は無く、通学での支援体制もなかったので、通信教育を選びました。通信ではありましたが、面接授業の時は大学へ通うので苦労し、また、大学側にも配慮をいただいて…と、いろいろな経験を重ねました(今は母校の美大にも、当時はなかった多目的トイレなどが整備されています)。美大でも仲間に助けられて、面接授業は楽しかったです。
葵のように普通校で学びたいと願う車椅子の子供たちを応援しています。元気に羽ばたいてほしい。
どの子供たちも、それぞれに個性があり、才能があります。「特別支援学校」で学ぶ子供も、「地域の通常学級に在籍して学びたい」と願う子供も、どちらも差別されることなく、それぞれの意思と個性に合わせた合理的配慮がなされ、どちらの子供も必要な支援が受けられることを願っています。
(*)1月11日追記