#近代建築 in 『チ・カ・ラ』番外編 CAFE KIRIN

『チ・カ・ラ』に登場する近代建築を紹介するこのシリーズですが、今回は番外編、関東大震災後のバラック建築についてご紹介します。

震災後はバラック建築が東京の街に現れますが、期間限定のバラック建築だからこその個性的な建築がたくさん現れました。

そのなかで『チ・カ・ラ』に登場した、この銀座のバラックは「CAFE KIRIN」です。

今和次郎さんが震災後、銀座で興した「バラック装飾社」が外壁の装飾を手掛けたもので、実在したお店の写真をもとに描きました。

『チ・カ・ラ』の中では、「芸術家たちが、殺風景なバラックの外壁に派手な絵を描いて街を元気づける」というエピソードが登場しますが、今和次郎さんらの活動をもとに創作しています。

アートを震災復興のチカラにしようという活動は、阪神淡路大震災の時も、東日本大震災の時にも見られましたが、この関東大震災の時の先例に学んだものなのか、あるいは、そういう時、自然にアーテイストの中で発生する想いなのか…。

阪神淡路大震災は先日29年を迎えましたし、関東大震災からは昨年100年を迎えました。地震大国の日本で繰り返される災害に心が痛みますし、怖くなったりもしますが、どの時代も復興の為に動いた人々がいることに、勇気づけられています。


紅梅河岸高架橋

千代田区神田淡路町にある「紅梅河岸高架橋」は明治時代に出来た鉄道高架橋です。

写真は2連しか撮れていませんが、4連の煉瓦アーチが淡路坂沿いに連なっています。

1908年(明治41年)ここに甲武鉄道(現在の中央本線)の昌平橋駅(昌平橋仮停車場)が開設され、1911年に中央本線が全通した際には、始発駅として活躍しました。延伸工事中の仮停車場だったため、駅舎は無く、この高架橋の真上にホームがありました。1912年に万世橋駅まで中央本線が延伸開業となった際に昌平橋駅は廃止されたため、4年間だけの停車場だったそうです。

 

現在はおしゃれなレストランが高架下に並んでいます。

実はこの写真、十数年前に撮った資料写真のため、現在のお店の様子とは少し違うかもしれません。

前回の記事 「♯近代建築 in 『チ・カ・ラ』」で、新橋駅(烏森駅)の話を書きましたが、新橋駅も高架橋が用いられていたので、紅梅河岸高架橋は中央線本ではありますが、当時の高架橋の雰囲気が伝わるかと思い記事にしてみました。

現在のシンプルな高架橋に比べると、アクセントに石を用いたり、上部には日本橋の欄干のような飾りをつけたり、煉瓦で凹凸をつけ細やかな装飾が施されていたり、当時の高架橋は優雅ですね。


#近代建築 in 『チ・カ・ラ』⑩ 新橋駅

『チ・カ・ラ』1巻のラストで登場する汽車のシーンの舞台は新橋駅です。1909年(烏森駅として)開業、鉄道院設計。

1872年(明治5年)に日本初の鉄道が、新橋―横浜間で開業されたのは有名ですが、ここに登場する新橋駅は鉄道開業当時の初代新橋駅ではなく、1914年(大正3年)以降の新橋駅です。初代新橋駅は開業以来、貨物、旅客、双方で東京の玄関口でしたが、大正3年に東京駅が開業し、起点の駅が初代新橋駅から東京駅に移ったことに伴って、初代新橋駅の近くにあった電車専用の旅客駅だった烏森駅が新橋駅となり、初代新橋駅は荷物、貨物専用駅となって汐留駅と改名されました。

烏森駅は電車専用駅だったと書きましたが、1909年(明治42年)、烏森駅完成と同時に山手線電化工事も完成しました。大正時代といえば「汽車」のイメージですが、電車の運行も各地で始まっていたのです。資料を読み進めると、思っていた以上に当時の人々のモダンな暮らしが見えてきました。達道と千華羅が「目白文化村」を訪れるときに乗っているのは実は汽車ではなく電車です。

『チ・カ・ラ』に登場する赤煉瓦の新橋駅は万世橋駅(1912年開業、辰野金吾・葛西萬司設計事務所設計)を参考に作られたそうです。関東大震災で万世橋駅は焼失。新橋駅も被害を受けますが屋根と内部が焼け落ちたものの、躯体は無事だったため修復されて暫く活躍を続けます。しかしその後、解体され姿を消しました。初代新橋駅の駅舎も関東大震災で焼失し、現在はその跡地に鉄道歴史展示室「旧新橋停車場」が初代新橋駅を再現した姿で建てられています。

デジタルマーガレット」にて連載中の『チ・カ・ラ —天空の雪—』最新話はこちらからお読みいただけますので、是非、ご覧ください。


#近代建築 in 『チ・カ・ラ』⑧ 目白文化村(New!)

「目白文化村」は1922年(大正11年)6月に箱根土地株式会社によって分譲が開始された郊外の住宅地です。現在の新宿区に位置しますが、当時は「豊多摩郡落合村」という地名でした。

当時は、第一次大戦後の住宅難が深刻化し、郊外の住宅開発が進んでいた時期で、他方では「田園調布」の開発も進んでいました(翌年分譲開始)。

一枚目のイラストは、「目白文化村」に最初に建てられた住宅です。今見ても古さを感じない素敵な外観デザインです。

同年の3月から7月まで、上野で第一次世界大戦終結後の平和を記念する「平和記念東京博覧会」が東京府主催で開かれており、その博覧会の目玉となった「文化村」では、モダンで合理的な生活を提案する中流階層向けの住宅が展示されていました。「文化村」は今でいうモデルルームのような役割を果たし、そこに展示されたモダンな住宅と同様の洋風住宅が「目白文化村」にも建設され、新しい街並みを形成していきました。

千華羅と達道が未来の夢を語ったのはそんな場所です。

「目白文化村」の設備は、ガス、水道、下水はもちろんのこと、地下ケーブル式の電気設備、三枚目のイラスト↓に描かれているクラブハウスがあり、後にテニスコートと相撲柔道場も加わりました。現在の高級タワーマンションの共有施設に匹敵する充実ぶり。住みたいなぁ(笑)。今だったら同規模の都心の住宅街は、間違いなく超高級住宅街になるでしょうが、当時は超富裕者層向けではなく、中流以上の人々が買い求めたそうです(郊外の住宅街が超高級住宅街となっていくのは、震災後に富裕層の一部が被害が少なかった郊外の住宅地に移り住んだ後)。

現在「目白文化村」は存在しませんが、「田園調布」に建てられた大正時代の住宅は現存し「江戸東京たてもの園」に移築展示されていますので、興味のある方はぜひ遊びに行ってみてください。

なお、関東大震災前に分譲された「目白文化村」の住宅が、僅かな損害で済んだのは史実で、その後、被災者に支援を申し出たエピソード(『チ・カ・ラ—天空の雪—』22話)も史実を参考に描きました。

『チ・カ・ラ』は1巻から8巻まで発売中です。

デジタルマーガレット連載中の最新話はこちらからお読みいただけます。


#モダンガール

『チ・カ・ラ』は1920年(大正9年)から物語がスタートします。

1920年代の日本で「職業婦人」や「洋装」の女性たちは「モダンガール」と呼ばれました。

まだ職種は限られていたとはいえ、企業に勤める女性たちが生まれた時代です。

『チ・カ・ラ』の主人公=千華羅も(本人は意識していないと思いますが)バリバリのモダンガールです。

クロッシェハットにローウエストのワンピース。

レトロなファッションも可愛いですよね。


#近代建築 in 『チ・カ・ラ』⑦ 品川燈台

今回は「品川燈台」の紹介です。

『チ・カ・ラ』に現在まで2回登場した品川燈台は、いずれも芝浦から眺めているという設定です。

品川燈台は、日本に現存する最古の洋式燈台で、当時は品川沖の第二台場にありました。

現在は「博物館明治村」に移築されています。

イラストの燈台は「博物館明治村」の実物写真を基に描きましたが、大正時代の品川燈台の写真資料が手に入らなかったため、芝浦からの景色は想像です。大正時代の地図で燈台の位置を確認しつつ描きました。

芝浦からお台場を眺めるというシーンは「片道切符シリーズ」の『秋雨虹橋』(コミックス『初冬街路』収録)でも描きましたが、レインボーブリッジが架かっている景色とはかなり違うなぁと、両方楽しんでいただけたら幸いです。

『チ・カ・ラ』はデジタルマーガレットにて連載中です。応援よろしくお願いいたします。

チ・カ・ラ -天空の雪- | デジタルマーガレット (digitalmargaret.jp)


#近代建築 in 『チ・カ・ラ』⑥

久しぶりに、「#近代建築 in 『チ・カ・ラ』」の投稿です。

今回は、日本橋と並んで『チ・カ・ラ』の舞台となっている銀座煉瓦街をピックアップ。

銀座煉瓦街は文明開化の象徴として、錦絵などに登場するハイカラな洋風建物で有名ですが、ご存じの通り、明治維新後の欧化政策の一環として建てられたもので、お雇い外国人の土木技術者ウォートルスが設計しました。

煉瓦造り(外壁は漆喰の白塗りが大多数)の建物は当時の人々には珍しく、見物客で賑わったようですが、庶民の住居としては人気が無く入居者が集まらない状況でした。そんな中、印刷機を使用する「新聞社」の社屋としては需要があり、銀座は一時、多くの新聞社が軒を連ねる新聞社街となりました。

『チ・カ・ラ』の舞台となった大正時代の銀座煉瓦街は、2階バルコニー部分を増築したり、和風の軒が継ぎ足されたり、創建当時のままではなく、和洋折衷の見た目になっていた建物も多くあったようです。

『チ・カ・ラ』のコミックス1巻で達道も説明していますが、銀座煉瓦街の建設は、明治5年に起きた大火の後、銀座を「不燃都市」として蘇らせる「都市計画」でもあったようです。しかしながら、大正12年に起きた関東大震災で倒壊、延焼し、銀座から姿を消します。

『チ・カ・ラ』は、只今、デジタルマーガレットにて連載中です(こちらからお読みいただけます)。デジタルコミックスも1巻から7巻まで発売中ですので、よろしくお願いいたします。


#近代建築 in 『チ・カ・ラ』⑤

近代建築 in 『チ・カ・ラ』④の続きです。

『チ・カ・ラ』に何度も登場する、旧帝国ホテルの椅子をご紹介。

六角形の背もたれが特徴的な旧帝国ホテルの椅子が、可愛くてお気に入りです。

旧帝国ホテルは細部まで、凝ったデザインで、竣工までには相当な労力を要しただろうな、と感じます。

スクラッチ煉瓦と大谷石が彫刻的に積み上げられた柱(灯籠のような灯になっている部分もあり素敵)など、エキゾチックで、重厚な意匠は個性的です。

『チ・カ・ラ』の中で、旧帝国ホテルは重要な場所となりますが、ネタバレになってしまうので、詳しくはここでかけません、ごめんなさい。

よろしかったら読んでくださいね。


#近代建築 in 『チ・カ・ラ』④

『チ・カ・ラ—天空の雪ー』22話、お読みいただけましたでしょうか。

今回の近代建築 in『チ・カ・ラ』は、「旧帝国ホテル」です。

旧帝国ホテルは、現在の帝国ホテル(千代田区内幸町)と同じ敷地にありました。『チ・カ・ラ』に出てくる建物は、ライト館と呼ばれる新館、鉄筋コンクリートおよび煉瓦コンクリート構造、地上5階、地下1階の建物です。

フランク・ロイド・ライトの設計で大正12年8月末に全館落成しました。

初代帝国ホテルは明治23年に、外国人をもてなす場所を兼ねた国を代表する大型ホテルとして、鹿鳴館に隣接する現在の敷地に建てられました。しかし、大正時代に入り初代帝国ホテルは火災で焼失、別館で経営を続けつつ、建設が進められていた新館(ライト館)の全館落成が心待ちにされていました。

『チ・カ・ラ』の中でも出てきますが、新館の工期が長引いたこともあり、全館落成以前から、新館の完成した部分では営業が始まっていました。この中央玄関に、レトロな当時のタクシーで乗り付けるシーンが描きたいなぁと、思ったので…(続きは漫画をご覧ください)。

現在は、愛知県の明治村に帝国ホテル(ライト館)の中央玄関など一部が移築保存されています。

『チ・カ・ラ—天空の雪ー』は、デジタルマーガレットにて連載中です。12月は月に2回の更新となります。こちらからご覧になれますので、よろしかったら是非お読みいただけると嬉しいです。


#近代建築 in 『チ・カ・ラ』③

明日から、やっと緊急事態宣言解除ですね。

まだまだ油断はできませんが、少しホッとしています。

イラストは、「横浜市開港記念会館」(通称・ジャック)です。

横浜開港50周年を記念して、1917年(大正6年)に竣工した建物です。

現在は、『横濱三塔』の一つとして、神奈川県庁(キング)、横浜税関(クイーン)の2塔と共に、横浜のシンボルとして親しまれていますが、ほかの2塔は昭和に竣工したので、大正時代は横浜市開港記念会館のみがありました。

当時の名称は「開港記念横浜会館」。

高い建物が他には少なかったので、海上からも良く見えたであろうと思います。

私の好きな近代建築のひとつです。

『チ・カ・ラ』の続きは、鋭意執筆中です。
既刊の『チ・カ・ラ』の1~4巻はこちらからお求めいただけます。

和田尚子のその他のコミックスはこちらからお求めください。
よろしくお願いいたします。


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