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☆【チ・カ・ラ】 作品のあらすじ☆

大正9年。銀座煉瓦街は多くの新聞社が軒をつらねる新聞社街となっていた。

その中のひとつ「集英日報」の一人娘、
真田千華羅は将来新聞記者になって「集英日報」を継ぐのが夢。

そんな中、千華羅は女学校で幼馴染の武藤静枝に再会する。

そして、静枝の兄、武藤達道とも再会。
9年ぶりに再会した達道は大人になっていた。
懐かしさに胸をときめかせる千華羅。

ずっと、気づかずにいたけれど、
達道は千華羅の初恋の人だった。

達道も成長した千華羅に惹かれる。

「自由恋愛」が流行りだしてはいたものの、
当時は、親の決めた相手と結婚するのが普通。
すれ違う千華羅と達道。

その上、千華羅に、親の決めた許婚、風間央が現れて・・・。

大正時代の日本橋、銀座、横浜等、を舞台に
千華羅の恋と夢の冒険が始まる。

コーラス2008年5月号〜9月号
2008年11月号〜2009年1月号
2009年3月号〜5月号発表
コーラスコミックス 「チ・カ・ラ」 1〜2巻 収録

⇒登場人物の紹介と「チ・カ・ラ」のその後は続きを御覧下さい。


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真田千華羅(サナダ チカラ):
大正時代の銀座煉瓦街に社屋を構える「集英日報」の1人娘。
将来、新聞記者になることを夢見ている「英集女学校」の生徒。
住まいは日本橋。
女学校の友人向けに「銀座倶楽部」を発行。
お転婆で恋の経験も無し。そんな千華羅が・・・・?

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武藤達道(ムトウ サトミチ):
千華羅の幼馴染。武藤静江(ムトウ シズエ)の兄。
剣に優れ、頭脳も明晰。帝国大学で建築学を勉学中。
10代初めまで、日本橋で育つ。その後、横浜へ転居、
現在は、麻布の屋敷に在住。
貿易会社の社長武藤家の次男。「自由恋愛」には興味のなかった達道だが、
大人になった千華羅と再会して・・・・?

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風間央(カザマ ナカバ):
元「横浜真新報」の敏腕記者。
千華羅の父に引き抜かれて「集英日報」にやってくる。
冷酷で野心家。が、記者としての正義感と信念は一流。
千華羅も記者としては央を尊敬するようになる。
芸者のお艶と関係を持ち、千華羅のことを、
初めは小娘としか見ていなかった央だが、やがて・・・?

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武藤静枝(ムトウ シズエ):
千華羅の幼馴染。武藤達道の妹。貿易会社社長武藤家の娘。
幼い頃日本橋に住んでいたが、横浜に転居、
身体が弱く、湘南で療養後、麻布に転居。
「英集女学校」で千華羅と再会。再び親友になる。
高倉子爵と気の進まない縁談を親に決められ苦悩中。

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真田重雄(サナダ シゲオ):
千華羅の父。
銀座煉瓦街に社屋を構える「集英日報」の社長(2代目)。
日本橋在住。

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真田鈴(サナダ スズ):
千華羅の母。「集英日報」を影で支える良妻賢母。日本橋在住。

        
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お艶(オエン):
新橋の人気芸者。
風間央となにやら関係が・・・?

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

       

【チ・カ・ラ】は、2008年5月号〜2009年5月号の間にコーラスで
連載されました。現在、集英社クイーンズコミックスコーラスより
全2巻で発売中です。

以下は、コーラス連載終了後に、ブログに掲載された
和田尚子のコメントです。【チ・カ・ラ】のその後を
空想して、楽しんでいただけたらと思います。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
【チ・カ・ラ】のその後

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この、雪の結晶のペンダントは、
アシスタントのお仕事をしに来てくれている
Kちゃんからのプレゼントです。

コーラス連載中にもらったのですが、
2巻が発売されてから、公開しようと思って、
今日まで、ブログに掲載せずにいました。

2巻を読んでくださった方は、このペンダントを見て、
「ああ!」って、分かりますよね!
Kちゃんがキットで作ってくれました。
私も「わあ!。これ、これ、こんなイメージ!」って、
思ってうれしかったです。

「チ・カ・ラ」ご愛読ありがとうございました。

応援して下さった皆様、本当に感謝です。
続きを読みたいとおっしゃって下さった方もいて、
大変うれしく思っています。

私の中では「チ・カ・ラ」は未完です。

「チ・カ・ラ」はフィクションで、モデルはいませんが、
大正時代、日本橋で育った祖母の話、
明治・大正の新聞人だった曾祖父(祖母の父)の話が
作品の創造の源になった事は、
以前ブログに書いた通りです。

そして、実は、私の祖父もふたりとも(父方、母方双方)
昔、新聞記者でした。

「チ・カ・ラ」の物語は、その後、関東大震災に進む予定でした。

祖父、祖母が、関東大震災の被災者だった事もあり、
震災時に活躍する新聞記者達の話が描きたくて、
「チ・カ・ラ」を企画しました。
残念ながら、肝心の震災のシーンの直前で、
連載が終わってしまったのですが・・・。

コーラスの編集部に、最終話までのプロットを
このブログに公開する許可ももらったのですが、
やはり、千華羅と、達道、央のその後の運命は
読者の皆さんのご想像にお任せする事にして、
震災当時の時代背景だけ、少し、ブログで紹介させていただくことにします。

関東大震災当時、銀座は「チ・カ・ラ」に描いた通り、新聞社街でした。

銀座はその立地のよさから、ある文献によると、明治の一時期は、
100を超える新聞社が集中したとも言われています。
大正時代にも多くの新聞社が銀座にあったそうです。

大正12年9月1日に起きた関東大震災で、銀座は火の海となります。
東京、横浜に本社を置く、新聞社のほとんどが、大打撃を受けますが、
それでも、新聞各社は情報を求める人々に、
被害の状況を伝えようと奔走します。

瓦礫の中から、活字を拾い集め、
(当時は活字を組んで記事を作っていました)
新聞を発行しようとした新聞社や、
壊れた印刷機の変わりに、
千華羅が「銀座倶楽部」を刷っていたような
手刷りの印刷機で、手書きの新聞を発行した新聞社がありました。

横浜の新聞博物館で見た、当時の記者達を写した写真が
私の心に今も強く残っています。
黒く燃え、煙の立ち上がる、街を背景に、
まだ、地震の混乱が続くさなか、
皇居前広場に避難した記者達が集まり、
その場で、臨時編集局を設けている姿が記録に残っています。

「使命感」ってこういうことをいうのかな・・・。と思いました。

関東震災当時は、まだ、ラジオもテレビも無く、情報は新聞のみ。
どれだけ、新聞の情報を人々が必要とした事かと思います。

その為、ひとたび、誤報が出ると、訂正の情報を出しても間に合わず、
誤報による、悲惨な事件が出たことも
記憶に留めておかねばなりませんが・・・。

震災当時の新聞を読んで、私が一番、印象的だった記事は、
各国からの支援と、ボランティアの記事でした。

外国からの支援や、日本各地からの救援、
人々のボランティアといえば、
まだ、記憶に新しい、阪神大震災の時の様子を思い出しますが、
大正時代の関東大震災でも、人々は助け合って、困難を乗り越え、
もの凄いパワーで復興したんだな・・・と、感じました。
人間の持つ力は凄いなと、昔の新聞記事から教えてもらいました。

駆け出し新聞記者の千華羅は、震災の時どんな活躍をしたんだろう。
刑務所から戻った央は・・・。集英日報は・・・。
災害の現場で共に働いたとしたら、千華羅と央の関係は
どんなふうに変わったんでしょう?

・・・・・さて、一方、達道は、新米建築家として、
アメリカで修行をしていました。
帰国が決まったところで、2巻は終わりました。

建築の方からも当時のことを少し・・・。

千華羅の父の新聞社「集英日報」は銀座煉瓦街にありました。
大正時代は、すでに、建て替えられたり、増築された建物もありましたが、
まだ、明治の煉瓦街が残っていました。
しかし、それは、関東大震災で壊滅したそうです。

「チ・カ・ラ」1巻にも描きましたが、
銀座煉瓦街は大火の多かった江戸の街を災害から守るための
都市計画でもありました。

火事に強い煉瓦でしたが、
関東大震災のような、創造を超える災害には勝てませんでした。
震災後、鉄骨や鉄筋コンクリートの建物の強さが際立ち、
以降、煉瓦の街並みは、姿を消していくことになります。

アメリカに鉄骨や鉄筋コンクリートの勉強に行った達道は、
帰国後、どんな日本を創ろうとしたのかなぁ、と思います。

その後、銀座の街は、驚くほどの勢いで復興し、
モダンガール、モダンボーイが闊歩する町へと変貌を遂げるのですが・・・。

さて、達道が千華羅に渡した雪の結晶のペンダントは・・・?
帰国した達道は千華羅に会えたんでしょうか・・・?

横浜も震災で大被害を受けました。
千華羅と達道が結ばれた日に歩いた「バンド」と呼ばれた海沿いの道。
その道の向こうの海に、横浜の人々は
震災で出た瓦礫を捨てて公園を造りました。
それが今の山下公園だそうです。

横浜の街をプラプラと歩きながら、今も、
千華羅たちのその後を夢想している私です。

ただ、『震災の時、活躍した新聞記者たちの話を描きたい』と、
情熱ばかりで走り出した、「チ・カ・ラ」でした。

時代物は初挑戦。
いろいろと、苦労の多い作品でしたが、
良いスタッフに恵まれて、
大正時代の先人達と会話しながら作品を描く作業は、
苦しみよりも、楽しさの方が多かったと、今、振り返って思います。